原 裕二のコラム 数年を振り返った現在位置
■頭を駆け巡った質問
「もし、私が(皆さんが)大統領/州知事/市長/バランガイリーダー(コミュニティ/区のリーダー)だったら、この光景を見て何を思うか。」「もし、私が(皆さんが)あの家の娘の父親だったら、この光景を見て何を思うか。」以下は、あるスタディツアーの1コマです。
■失意の光景と人々の日常
それは盗電から発生した火事で家々が焼けてしまい、コミュニティ全体がさらなる貧困へ進んでしまった地域に足を踏み入れたときのことでした。地元の皆さんと最後に四階建ての建物の屋上へ上がり、そこから私たちは焼けた街を見ました。修繕された家屋、これから修繕されるのを待つ家屋。路上に座り込む多くの男性たち。グループで話し合う女性たち。屈託のない笑顔で走り回る子どもたち。しかし、この地域も他と変わらず、子どもたちはあとほんの少し大きくなるだけで、男の子は薬や犯罪、女の子は売春という道に足を踏み入れていくという現実が、日常として存在していることを耳にしました。
■建物の屋上に招待されて
なぜ屋上に上がったかというと、セブの富裕層が寄付した浄水システムがそこには置いてあり、それを見てほしいと言われたからです。「私たちが寄付をしました~○○○○~」という立派な横断幕。しかし残念ながらその浄水システムは、このコミュニティ全体の規模を考えると、とても品疎なものと言わざるを得ませんでした。
■見えやすいし、わかりやすい、けれども…
必要のある人々に寄付をすること、社会貢献すること、その一つ一つは本当に尊い行為であり、決して批判されるべきものではありません。また、自分のことを棚に置くこともできません。しかし、このとき、うつろな目をした子どもたちを遠くに見ながら、私の心を駆け巡ったことは、冒頭に記した質問でした。それは、地域社会の中でなすべき役割を担った人がその役割を果たすことの重要性、そしてまた、天がその役割を果たすためにその人に与えたリソースを適切に管理し、用いる責任に対して、どのように個々が応答するのか、という問いかけでした。
「もし、私が(皆さんが)大統領/州知事/市長/バランガイリーダー(コミュニティ(日本では区のイメージ)のリーダー)だったら、この光景を見て何を思うか。」 「もし、私が(皆さんが)あの家の娘の父親だったら、この光景を見て何を思うか。」
■当たり前の原則
一人一人に社会の中で果たすべき役割が与えられていることを自覚し、それを果たすこと、その自覚と行動の連鎖が貧困の根本原因に取り組む重要なアプローチの一つなのだと思います。こうした自身への問いかけは複雑な感情や葛藤とともに生まれます。これらは、初めて街中でストリートキッズと食事をしたときにも生じたように記憶しています。
■葛藤と方向修正の決意
こうした問いかけを心に抱きながら、私はスタディツアーの最後に個人的な決意表明として次のように話しました。 「今までは『草の根』の活動を中心に展開してきました。今回のスタディツアーを終えて、 『草の根』の活動も益々取り組みたいと思いますが、私はこのフィリピンをはじめアジア諸国の中で経済的な影響力を持つ人々に対する アプローチを真剣に模索し、行動していきたいと思います。」
■その後
現在、私は日本で、セブにおける教育・歯科衛生プロジェクトの後方支援や、東北における福祉のプロジェクトに関わりながら、一方で投資運用の技術を習得し、投資運用サービスの運営チームの一員としても活動しています。投資運用に関する取り組みは、自身の運営するNPO法人の持続的活動を可能とするために必要と判断して始めたものですが、数多くの出会いの中で、現在携わっているような役割を依頼されるようになりました。活動を進める中で、日本だけでなくアジアをはじめ世界の経済の動きに触れる機会が増えていくにつれ、以前、葛藤の中から決意した「アジア諸国の中で経済的な影響力を持つ人々に対するアプローチ」という目標に対して、まだまだ小さいけれども一歩ずつ近づいているのではないか、そう思うことがあります。具体的な行動ステップについてはまだ思考段階ですが、今後どのように道が開かれていくのか、じっくりと見極めていきたいと考えています。